「おせっかい力」と信仰
毎日患者さんとのエピソードがてんこ盛りで、本っ当に飽きない訪問
そうやって全力で自分よりも死が間近にある人達と関わる事で得るものが多い
信仰
👵「田中先生は信仰はあるのですか??」
👨「、、、??!!信仰ってのは信じるアレですか??」
👵「そうですよ^^」
👨「信仰、、無いですね、とも言うのも田中は大きなことを考えるのが苦手で。。だから共同体みたいな、自分の手の広げられる範囲の人たちが幸せなら信仰なんて大きなことは必要ないと思ってるんです。信仰をして〇〇さんが幸せになってくれるならそれで有りとは思うのですが、、、ちょっと違いますよね。
田中が〇〇さんを絶対に一人にしないって感じてくれてれば、それは信仰じゃなくて愛じゃないですか、あ、愛ですね、愛の信仰かもしれません」
👵「、、、そうですか」
分かってくれてるのか分かってくれてないのか、高齢者に真顔でこんな事を熱弁する
信仰はなんざ人間の脳が作り出した幻想なのだから、そんなものよりも愛があれば人々は幸せにできると考える愛の信仰者田中
非合理的な人間たち
👨「〇〇さん、この手すりはこっちに付けてですね、、、」
👵「いいの!これはここが良いの」
環境的負荷を排除しながらも、日常生活をより良く行っていくために日々患者さんにはアドバイスをしているのだけど、それでも聞いてくれない患者さんもいたりして人間っぽいなぁとすごく思う
不便でも良い、体が悪くなっても良い、それで自分が心地よいなら。なんかどこかで聞いたことがあるぞ(マイナンバーなんて要らん、デジタル化なんて要らん、不便でも良い、今のままが良い)
田舎ほど外部の情報や健康に対する意識って本当に本当に低い、というか関心がとてつもなく低い地獄
そんな人たちのために税金を使ってるのって少し変だと思うのだけど。。まぁ仕方ない人間は平等で和をもって尊しとなすから
でも我らはそういう仕事してるわけで、提案をするのだけど大概聞いてもらえないので家族に相談する。二言目には「私達の話もあんまり聞いてくれない」そりゃそう
人間らしい、苦痛を受け入れても提案を受けないのも選択、非合理的だからこそ人間
死ぬ時くらい自分の選択くらい、、と。すべては外部のエゴでしかなくて、エゴなのです。理性で生きるなら、非合理でもその理性を突き通させてあげることこそ生を全うしてるのではと思ったり思わなかったり、ただ面倒くさい
「おせっかい力」のすごさ
👨「またデイ休んだみたいじゃないですか〜、そうやって奥さんにも迷惑かけてどうしたんですか」
👴「もう俺は頭がおかしくなってるんだ、あの世に行くしかねぇんだよ」
👵「まーたそういう事言ってる、誰にも決められないんだから生きるしかないんだよ、それとも施設でも行くかい!?」
奥さんが心配してるだけこの人は長生きするんだろうな。
すごく幸せそうな夫婦。俺もそうなりたいねー
息子の嫁さんが介護をしてる利用者さん
訪問中に患者さんが泣き出す
👵「みんなに迷惑をかけて、嫁にも迷惑をかけて、本当に生きてる事が辛い
一体何のために生きてるのか分からない。」
👨「まぁそれでも〇〇さんを皆で支えるから、それが人間ってもんじゃないですか、一人じゃ誰も生きていけないんですよ、生まれてから死ぬまでは、だから迷惑かけても良いんじゃないですかねぇ」
「孤独じゃない」だけで長生きできる
引き続き、ミッションの大前提には
自分が診てる人たちは絶対に「孤独」にさせない。「スーパーおせっかいマン田中」になって頑張りたい
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