高齢者の「いつ死んでも良い」の本当の意味
SNSって見てると同じような場面に出くわす人たちが多くて、それぞれの多様性が、とかなんとか言ってるけど死期が近くなるとまぁみんな動物なのだと思ったり思わなかったりする
「担当の高齢者に”いつ死んでもいい”って言われるんですけど、、なんて答えれば、、」
田中も
「いつ死んでも良い」もそうだし
「もうすぐあっちに行くさ」って言う人しかいないんだけど
「まぁそう言ってる人ほど長生きしますからね、大丈夫ですよ、その時まで田中が身体みますから」
なんて適当なこと言ってる
(半分本気。半分うそ)
ググってみたら、岐阜の内科の先生のブログ記事が出てきた
この文中に
”本当に死が近づいている患者さんは「死」についての発言はされません。
極限まで追い込まれると、そんな力すら無くなってしまうのです。
確かにな、と思う。
人の死については深く考える事って少なくて
とも言うのも、人は99%死ぬしそれが遅いか速いかだけ
みたいなスーパーシンプル思想だったから。
ただ、そこには人なりの人生があって
先を伸ばす事に価値があるという人が多数派なら、
それこそ「いつ死んでも良い」なんて言う人ほど実はそうでもなかったりする
「いつ死んでも良い」の本質を考えると
「いつ死んでも良いけど、それまでは長生きしていたい」
みたいな事だと思う
訪問やった事ない人からすれば、いやそれ何やねん、って思うけど
「身体を動かさないと悪くなるから訪問頼んでるけど動かない」
みたいな矛盾と一緒
訪問はこの大きな矛盾を自分のポジション取りで乗り越えていくしかなかったりする
まぁ意思決定を求められる職種であれば何でも一緒か
彼彼女らの大きな矛盾を自分の自信100%+過信20%の120%の力で踏み出さないと
EBMに沿った施術なんざまぁできない
それの成れの果てが「モミモミ訪問マッサージ」
その壁をぶち破って患者さんとのラポールを構築するには
「いつ死んでも良い」の本質を見抜くべきなんだと思いながら毎日の施術にあたってます。
まぁ田中も仏ではないので鬱陶しい患者さんはモミモミして終わりなんて事もありますけどね。
それ以上何かをICしても誰得って感じだし、なにより精神が持ちませんからwww
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