海と仕事と何か
その1フリックの価値はどれだけのものですか
その誰のものかも分からない1フリックに自分はどれだけの思いがあって「仕事」と言っているのですか
仕事とはPDCAやOODAみたいなフレームがあってこそ「仕事」と言えるのではないのですか?
突発的なその感性に基づいたクリエイティブ活動を「仕事」と呼ぶなら
資本主義に則って価値を生産できるだけの何かがあっても良いんじゃないですか
別に良いのですそれを「趣味」と語るなら、みんな違ってクソどうでも良いので何を言おうが勝手です
が、仕事を語るなら金を産み出さなければそれは資本の世界では仕事とは言えぬ
永遠に承認欲求を1フリックに込めていればよろしい
事業計画なんて立てなくてもいいから、心を惹く「熱意」が見てみたい
それじゃなかったら仕事とは呼ばせない
なーーーーーーんて
みんなと会って話をしてるうちに少し思うのでした。環境は違ってもみんな仕事が好きだから、相手にも同じ熱量を求めてしまうのね分かるよ
でもそれがパートナーだったら、相手が1%しか頑張れないんだったら自分が99%頑張れば良いじゃない
それでも不満なら別れれば良いじゃない
心が安らぐのが「金銭的な何か」なら、永遠に金と欲にまみれた世界に浸かってれば良いじゃない
その覚悟がないなら、少し自分が完璧に近づいて見れば良いのです
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
感受性の感度、鋭くするにはやっぱり自然ですね
山もいいけど、海もいいなー
もっと人らしく自由で良いと思える週末でした