渇けない日本と渇いているVietnam
身体的な不平等は不平等ではなくて単純な生物学的な違いだし、ジェンダーを不平等に結びつけるのは相変わらずどうかと思うのです。法が不平等を生み出して法が数字を操作しているだけ、不平等を語るには力が弱い気が、、、
ただ、肌で感じるような貧困や眼前で起こっているような暴力、育児放棄を察知すると、これこそが正真正銘の不平等と身を持って感じるのです。高齢者と関わるだけなら良いかもしれないけど、突発的に遭遇する最上級の貧困と摘まれていく若い可能性を目の当たりにすると自分にも何かしてあげられないかといつもいつも心が乱れる
結局のところ自分にできることはせいぜい子ども食堂の手伝いくらいで、だからと言って何か可能性を与えられるくらい自分に力があるわけでもない。深く関わりすぎれば自分がダークな方向へ進んでしまったりする可能性もあったりする。
何もできない自分だからこそいつか社会に還元できるくらい何かを経験して摘まれていく人たちに寄り添えるくらい強い存在になりたいって気持ちもどこかにあったりする。
話変わってインスタのフィードやストーリー、FBの投稿欄は半分くらいがVNの友人の投稿で埋まってて、投稿の内容がもうバブリーな「〇〇を買いましたー」みたいなものから「投機でこれだけ稼ぎましたー」みたいな胡散臭いものまで。そんなに欲しがるかVNの人たちは、とその手の投稿を見るたびに思う。一方でJapaneseの投稿は派手なものがとても少ない印象
やたらと日本のZやミレニアル後期は幸せの定義を探しがちだけど、一方でVNは乾きまくりの資本主義が過ぎて資本主義に踊らされてたりする。どっちも人間らしさが出ててすごく面白かったりする。人間て全然変わらねー生き物だ!
成長率の裏で隠れてる無限な社会的格差の闇に満ちるVietnamか
GDPは永遠の平行線「竹☆槍」デフレ超爺婆大国日本か
どちらで手を広げられる範囲を助けられるかと考えると、後者の方が助けやすい気がするんだよな。まだまだ先の話かもしれないけど。
貧困を肌で感じると感慨深くなる
ブログランキング参加してます。
↓↓良かったら下の画像をクリックお願いします(*´ω`*) ↓↓