心が浮いている状態
何だかクリティカルな答えが出なくてすごくウズウズしてる
例えば、、成長期に身体の一部が麻痺になったとして
パーソナリティが肯定されていく過程で蓋をされたこの場合、どうすれば大人になったときの「心が浮いている状態」を解消できるのかと
身体以前にとんでもない課題だな、とものすごく痛感してる
パラノイア的な側面もあったり、極度の肯定感の無さや、親子関係の極度の依存
複合的に問題が山積みすぎてどこから手をつければこれは長期的な目標の達成に繋がるんだろうな、とシンプルに見えるようでシンプルじゃないようでシンプルなのかもしれないと帰結する
そうさ、俺は人をみているのではない、病人をみているのだ、病という化けの皮をかぶった人をみているんだ、そうさそうさ
完全に思考停止
心が浮いている人と一緒にいる時は
「自分も心を浮かす」か「心をどこかにぶん投げてそこには田中の肉塊しか存在しない」状態を作るか、この二択になってくる
前者は自己犠牲の精神で自分も紫色になりながら完全に患者に依存する
最終的に裏切られても精神がボロボロにならないタングステン並みの硬さが必要
そして後者はもう完全に心そっちのけで相手を人とみなさない方法
まるで親身に聞いているようで身体のこと以外聞いたことは右から左の中規模病院の内科医みたいな存在になるという素晴らしい戦略(内科医の先生が悪いとは言っていない)
そのうち田中の顔が紫色になっていたらそういうことなんだなぁと思う。
まぁともかくそういう心理学的考察のできる文献をひたすらに読むのです〜
もちろん、フィジカルが思考に直結してるとも考えるので、外側の問題もしっかりと向き合わないといけませぬが
↓患者さんちの猫。大体いつも寝てる
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