良くすることは悪なのか
なんかカート引きながらおっさんがクリームパン売ってたので買ってみた
。。。
ぜんっぜん美味しくないよこれ、何なの290円とか
駅で売ってる100円のクリームパンの方が美味しいわ
冷凍の白パンを解凍してベチャッとした生地にカスタードぶち込んであるだけじゃん
いやぁ。パンとして食べるじゃなくて
凍らせてアイスクリームパンとか言ってデザート感覚で食べた方が美味しいわ。。。
今担当してる患者さん、みんな頭はしっかりしてる人ばかりなので
「これは今まで出来たのに、全然出来なくなってしまった」
「なんでこんな体調が悪くなったかねぇ」
って言う方が多い。
細胞や神経の劣化、要するに老化現象で単純明快な問いなのだけど
これが頭では理解してても腑に落ちないご老人が多いのは一体なぜだろう?と
その境地に立ってないからちっとも分からないタナカ
「現状よりも良くする」ということには、少なくとも痛みが伴うし
年齢を重ねれば重ねるほど若い人よりも努力しなければいけない。身体も頭も
ただそれをどストレートにご老人に言うわけもなく、
少しずつラポールが形成されてきた頃に「良くするにはー」という文脈で語り始める
大体は納得してるような納得してないような、具体例を挙げながら
「田中の身体と皆さんの身体だと、どっちの方が運動能力は高いでしょうか。
それが答えなのだと田中は考えてます」
変に気を使うと頑固なご老人には絶対に伝わらない。
近所のスーパーの焼き鳥屋さん
なんか可愛らしい鳥がやってきて、飯をくれと言わんばかりの態度
今週も色々と考えさせられる事が多かった。
本当に訪問ってのは人の生きざまを見るから
「死にたければ死ねば良い、生きたければ生きれば良い」
と0−100の考えで正義を通すのが難しくなってくる
だからあんまり田中は訪問には向いてないとつくづく思ったりする。
「生きたいなら生きたいで田中は全身全霊でサポートする」
それでもこれだけやって良くならないのは
逆に良くするとか希望を持たせることも、その人にとっては幸せではないのでは?
と、逆に田中が紫色になってしまう事もあったりする
前例もない、病院では何も出来ない、治らないと言ってしまえば本当の事だし
逆に田中が良くするなどと希望を持たせてしまえば、もしかすると有言不実行になるかもしれない
結局のところ正解が曖昧すぎる「治す、良くする医療ではない」訪問とはこのこと
今週は何回も何回も患者さんに泣かれて、それでも自分らしい態度で接していられたのは我ながら成長したなぁなんて思う。
もちろん当たり前を当たり前に言ってたら仕事がなくなってしまうから、
っていうのもあるけど
患者さんから頂いた梅を梅酒にしてみました。あとプラム。甘酸っぱくておいしいいいい
山梨満喫してます^^
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