「気持ち」の正体
スポーツやってた時からこの「気持ち」みたいなのが本当に嫌いだった
気持ちで投げろ、気持ちで打て、気持ちで勝て
じゃあいい球投げられなかった原因は「気持ち」ですか
打てなかった原因は「気持ち」ですか
勝てなかった原因も「気持ち」、、、なのでしょうか??
それが嫌で嫌で
それに頼らざるを得ない状況を作ってしまうことも、それに頼るしか方法を教えてもらっていなかったことも、技術や知識よりも先に「気持ち」がくることも
気持ちが足らないから○○みたいなのは本当に反吐が出た
ただでも、訪問やってると「気持ち」は重要なのかもしれないと思ったりする
何回も繰り返される話を傾聴したり
いやこれ物理的に良くなるわけないやん、みたいな人を良くさせるためには
もしかすると「気持ち」「気」みたいのが人を良くするのかもと勘違いすることもある
加齢と老化を分けて考えるように、人がデータのことを裏切ったりすることもあるように
決して数字だけでは語れない領域があることも、中国にいた時や、日本での数少ない臨床の中でも経験して。それも分かる
だけどそれでも、最終的に「気持ち」に頼ってしまうのは、田中は違うと思うので
まだまだ、経験も知識も増やして「気持ち」なんかに頼らなくても、結果が出せるようなセラピストになりたいなと思うのです。
そして目の前の患者さんも「気持ち」なんて不確定な確率に賭けるのではなく
田中の経験や知識の「可能性」に賭けて欲しいとも思うのです
回復期や急性期ってのはあっという間に良くなるしょ。スポーツ選手や若い人の怪我も同じ
生活期、慢性的、特に高齢者はセラピストの力量が試されると思うの。だからまだまだ死ぬほど勉強します
死ぬほど勉強したら、今の現場から離脱したいと思います笑
それまでは患者を良くすることだけに執着
あでも、何でこの仕事やってるかって、たぶん患者さんを良くすることじゃなくて、
患者さんが何で良くならないのかを考えることが楽しいからなのかも、、、
だから「気持ち」が足らないのだろうなぁ。
身体から気持ちに落とし込むことが正解だと最近はわかってきたのですがね。その感覚を高齢者に理解してもらうなんてまぁ無理っすよ
ブログランキング参加してます。
↓↓良かったら下の画像をクリックお願いします(*´ω`*) ↓↓