法事・禅のあり方と宗教
先日、お休みを頂いて
私の母方の祖父の13回忌に参加してきました
母方のご両親
祖母、祖父ともに親戚関係、繋がりは今でも濃く
ある意味ではその影響?で、ちょっと近すぎていないか?と思う事も多々
大人になったから?
ある意味では現代的で、親戚とも疎遠になる欧米スタイルになりつつある
今の日本を考えると、これはこれでレアなのかな
とも思ったりします
さて、法事の席において
いつも私が座禅をお教え頂いている住職さんから
「宗教とは何か、禅とは」
お話を頂きました
因みに私は無宗教ですが、田中がお世話になっているのは曹洞宗
総本山は福井県にある「永平寺」
元々、なぜ私が座禅をやろうかと思ったかというと、キッカケは
中国に行く手前
いっちょ、息を整えに座禅でもしてくるか!
と思い今の住職さんにお話をしたら、快く承諾して下さったのが田中の“座禅人生”の始まり
あ、座禅をしてるからって哲学的な人間にはなっていません
住職さんの教えでは
「宗教は生き方であり、座禅はその教えである」
との事でした。
禅や宗教に触れた事のない人からすると
何言ってんだこいつ
みたいな感じだろうけど
住職さんは言いました
「皆さんは少年院に入るような子たちが“手を合わせる、礼拝をする”という行為をどれだけした事があると思いますか
8割以上のお子さんがした事、見たことすら無いのですよ
この現実をどう受け止めますか???
その社会が皆さんのすぐ近くに存在しているのにも関わらず
こうやって何世代もの家族が13回忌に参加して先祖の仏様を拝む
この行為がどれだけ尊い事か
たまたま見つけたお寺の記録に
偶然にも、(祖父の)先祖の名前が記されている、しかもそれが今日という偶然
100年以上もこのお寺と付き合い、そして代々、その教えが続いている
これがどれだけ尊い事か、、、」
ついついジーンときてしまいました
座禅を通し、また、教えを伝えていく事こそ宗教(仏教)であり
その生き方こそ今の社会に必要とされている「人間らしさ」
なのでは、と
どれだけテクノロジーが進化しても絶やしてはいけない大切な学びが
「宗教」の「教え」
なのでは??
別に全員が宗教の教えを大事に生きろとは思いませんが
個と個が繋がれる理由の一つとして
冒頭で言ったような
家族関係の欧米化しつつある日本の社会では
価値のある思想になっているのでは
と思ったりします
後世に伝える、何かを残す事こそが人生の目的ですよね、ええ
また多くを考えさせられた13回忌でした。