コメディカル✖︎ベトナム移住✖︎??

中国での国費留学を終え、日本に戻ったセラピストがベトナム移住を目指すブログ

夏になると思うこと。高校野球

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まぁ同世代は仕事でヘバッているのにも関わらず

自身は埼玉の中心部で中国人に囲まれながらアルバイトをしてのん気に生活をしている

これで中国語の能力は落ちない

アルバイト先の中国人には

お前はどこに行っても気に入られそうだな!!

なんて事を言われる。まぁ〜〜...そうなのかな?

今回ベトナムに2週間行ったことで、

現地の言葉さえどうにかなれば絶対にどこでも生きていける!(゚∀゚)

という確信を得た。発展途上国であれば尚更

恐らく東南アジアでは苦労しないんじゃないのかな、と思ったり。

日本の生き方が嫌なら自分に会う国に行けばいい、筆者はそんな価値観を兼ね備えている

でも結婚を抜いたらの話であって、、まぁなかなかこんな自分について来る女性はいないけど笑

 

 

この時期になるとどうもソワソワしてくる

っていうのも甲子園があるから。夏の全国高校野球選手権大会

今年は時間の都合で行けないけれど、毎年準決あたりになると兵庫まで見に行ってた

筆者も高校まではバリバリの野球少年で、高校も県立高校の中では強い方だった。

実際のプレーは全っ然であり、問題児でもあったためにどうこう言えたものでは無いのが事実(;´Д`)

たまたま高校野球をやっていた友人と話をする機会があって

経験者ならではの今思うこととか、逆にケアをする立場からして思うこととか、

書いてみようと思った

 

高校野球部員も年々減少の一途を辿っているらしく、毎年4〜5%ずつ減っているみたい、その4,5%はどこぞへ?

まぁ、子供の絶対数が減ってるから減少するのは当たり前だけど

高校野球ってどうも教育と結びつけられ易くて、不祥事がどうの〜とか、野球部員がどうの〜とか、ニュースで見る時はだいたいこんな感じ

というのも高校野球には強烈な上下関係が存在していたり、それに加えて謎のダメダメルールが存在する。練習も地獄

それが社会に出てから役に立つだとか、圧力に強くなるだとか、忍耐だとか

人として最低限の事が身につくと言われている。

確かに、確かに、役に立つ

でも何だろう

正直、野球をやっていた忍耐力と社会に出てからの忍耐力は別。そして机に向かう忍耐力も。

自分たちがボールを追いかけている時間に、その他学生、ましてハイレベルな国公私立大学を狙っている生徒たちは勉強をしている

じゃあそいつらが勉強してる間に我らが身につけたものは何だろうって

そいつらに負けない何が手に入ったろう?って

結局のところ今でもはっきりよく分かってない。分かるのは一生の友人を持てたって事と感謝をする事が出来る人間になれたって事

だって進路を見据えたら、

余程効率のいい人間でない限り世間一般で言う「一流」と呼ばれる進路に進む事はかなり難しいと筆者は思う。

しかも上昇志向が強い人ほど高校野球をしていた時の自分に対して、少し後悔の念を抱いているように思える(筆者ではないけど、よく話を聞いていて思う)

 

 

きっと筆者は高校野球をやっていて正解だった側の人間だと思う

元々、人間的に腐っているので、高校野球をやっていなかったらタダの廃人である。

選手をしている中で年中怪我をしていた。体質的な問題とか身体の使い方が悪かったのだと思う

高校時代の練習なんて、個々のペースで出来るものなんてほとんど無いし、根性論が大いに作用してくる。ウゼェ

無駄にミーティング長かったな〜とか、米を食えだの食う量増やせだの根拠のねぇ糞論から、何だこの練習?って思うのが沢山ある

だったらとにかく休ませろよボケ!!

ただそこに気付いたり、本気で変えよう、根本的に間違っているよな。と思う優秀な部員は1000人に一人くらい。

というか集団行動の極みなので人間の心理的にも気付きづらい

ただ何度も言うけど

我らのそういう世界で培ったものは、上下関係の厳しい体育会系社会で大いに役に立つことがある。

きっとそういう部分では経験した事のない人たちには分からないんだと思う。

 

高校野球を経験して今があって、そりゃ勉強の面で他の生徒より時間が取れないのは当たり前

偏差値が低くない高校の野球部員こそ、将来の進路選択の際にギャップが生じるのだと思う。

でも思ったのは、そこで無理に背伸びをする必要って全然無いよなーって

高校同様、自分の活躍出来るフィールドで力を発揮すればいいんじゃねーって

もちろん、金回りのいい仕事、地位、権力を得られる、そんな立場になれる能力のある人たちはバンバン力を発揮して下さいって感じ

ある意味そのギャップにすら気付かない人たちもいるのだから、きっと何かを感じている人たちは上昇志向の強い人たち

 

筆者にとって高校野球をやり通せた事はこのヘボい人生の中でも圧倒的に輝いていて

最終的に背番号を貰えたのは奇跡だし、こんな筆者が背番号を貰えたから弱かったのかな...とか、なんか色々思うんだけど

人生を変える出会いがあり、そこから右往左往しながら何故か色々なご縁で今は中国に居させて頂いてて

全く後悔してないなんて言ったら嘘っぱちだし、

もっとお金の事や将来の事を勉強しておけばとか、もっと恩師に早く出会っていればとか、何で自分をもっと強く持っていなかったのだろうとか、根性論で無理すんなよって

でも結局思うことは、今の自分そんな嫌いじゃない😂

背伸びせずに自分のフィールドでやりたい事思い切り楽しんでんなって思うし

末っ子で話を聞くの嫌いじゃないし、痛みを理解している自分だからこそ出来る事があるし

自分なりに色々な人と出会えて、色々な世界を見れて、でもまだまだ色々な世界が見たくて、

世界のどこでも生きていけるような感性や価値観を得る事ができて

何より、ここまでさせてくれている周りの環境に本当に感謝することが出来て

それが全て高校野球と繋がっていると思うと

もしかして今の自分そんな悪くねぇんじゃね??って思う

もっと死ぬ気で勉強してたら恐らく別の道も選択肢としてあっただろうとか

正当化してるよって思う人もいるかもしれないけど、

それでもやっぱり今ここに立っている自分は嫌いじゃないし周りの人たちにすごく感謝している

 

 

何だか結局話は0に戻るけど、そんな深く考えて高校野球やってる部員なんて滅多いない

でも根性論駆使してる高校球児はもっと、別の頭使ってもいいんじゃねえかな?って

練習の意図も、自主練習の意義も、自分に合ったアプローチも、そしてその先の進路とか

いつか恩師が言った「個人的に高校生に教えても効果が期待できない」

という部分の意味が今になってよく分かってきた気がする。

 

ひたすら努力したら報われるなんて思ってるのは馬鹿とアホだけで

+工夫、これがチャンスを物にできる秘訣だし、そんなん高校野球だけじゃなくてその先もずっと

そこらへん、高校球児ももっと分かっててもいい部分。だから馬鹿は野球は上手くならない。そう、筆者である

 

なもんで、今の現状に満足してない高校球児は特に

少し工夫したり、少しの根性論から脱してみたり、ちょっと周りから脱してもいいんじゃないかなって

なんかそれって日本独特なのかなとも思ったり、協調性ばかり気にする所とか

他人の尺度に合わせる必要は全く無いし、自分スタイルでやればいい。もちろんやる時は全力でやる

馬鹿でいいと思うし、馬鹿ならとびきり馬鹿になってやればいいと思う。周りは気にしなくなるから

 

 

そんな感じに思ったのでした。

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